ことばの理解と失語症

 

 語や文を理解する過程は、記号としてのことばの背後にある意味を解読する過程である。

 語は多義的である。したがって、語を解読するためには、いくつかの語義のなかからそこで用いられている意味を選択しなければならない。

 語の正しい意味選択を妨げる要因として次のようなものが考えられる。一つは、意味弁別に必要な音声の最小単位である音素の聞きわけ不能である。これによって類似の音素を成分とする語の意味との混同が生ずる。いうまでもなく、この要因は口頭発話の場合にのみ問題となる。第二の要因は、語いについての不十分な知識である。この要因によって、音(あるいは綴り)が似ている語との混同が生ずる。第三の要因は、具体的・像的思考が優勢になり、そのために、語の最も具体的な意味のひとつを最も可能性の高いものとして受けとめてしまうことである。語の通常よく用いられている具体的な意味が支配的となり、他の普通あまり用いられていない、あるいはより抽象的な他の意味の意識への浮上を妨げてしまうのである。第四の要因は、大脳皮質の「賦活状態の動揺」(天野清訳、ルリヤ、 1980年)である。極度に疲れていたり、寝ぼけていたり、さらに皮質が制止状態にある場合に、こうした状態が認められる。正常の賦活状態であれば、ある語は意味の点で近似した語のみを想起させるが、皮質がこうした状態にある時には、意味の点で近似した語を想起させるのと同じ確率で、音の近似した語をも想起させてしまうのである。

 次に、文の理解は文法の習得を前提とする。文の理解は、基本的には論理・文法的構造の解読ということになるが、文理解を困難にする要因として次のようなものがある。その一つは、「構造的要因」と呼ばれるものである。聞き手(読者)によって、継次的に知覚される文の諸成分を同時的な相互関係に置きかえることができない場合には、文の諸成分を一つの論理・文法的体系に配列することができなくなるのである。もう一つは、「力動的要因」である。文の意味について、直接的に生ずる印象などを抑制できない場合、文理解に誤りが生ずる。 たとえば、 A>Bであり、AくCである、という文について、文の成分がA、 B、 Cの順になっているため、 A > B > Cと誤って理解してしまうことがある。三つめは、「記憶」の要因である。文の諸成分を記銘できなければ、文全体の意味を読みとることはできない。この要因は、口頭発話の際には、特に重要である。

 以上のような諸要因によって語や文の理解が妨げられるのであるが、これらのうち、語理解の際の音素弁別不可能要因と文理解の際の「構造的要因」とは、脳の損傷によって生ずる。

 左半球の上側頭回後部3分の1の部分(ウェルニッケの中枢)の損傷によって、音素の聞きわけができなくなる。ルリヤはこれを感覚失語症と呼んでいる。また、左半球の頭頂一後頭部(より正確に言えば、左頭頂-側頭-後頭部)の損傷により「同時総合」ができなくなる。このため、ある種の論理・文法的関係の理解が不可能となる。患者は、伝えられることの細部は理解できるのだが、それらを一つの全体にまとめあげることができない。たとえば、「父」と「弟」それぞれの語義は理解できても、「父の弟」の意味は理解できないのである。ルリヤは、これを「意味失語症」と呼んだ。 なお、失語症のタイプ分けはさまざまに試みられているが、ルリヤは失語症を六つのタイプに分けた。残りの四つは、力動失語症、遠心性運動失語症、求心性運動失語症、聴覚一記憶失語症である。