乳児期:ことぱ獲得の準備期

 (1)ことばの三つの機能

 ことばは、コミュニケーションの基本的手段であると同時に思考の道具であり、さらに行動の最も本質的な調節手段の一つである。個人差はあるにせよ、一般に子どもは満1歳の誕生日を迎える頃ともなると、音声を用いて自分の要求を伝えたり、対象を指示したりできるようになる。すなわち、三つの機能のうち最も早く成立するのはコミュニケーション機能である。ほぼ2歳頃になると、「それまで別々に進んできた思考と言語の発達路線が交差」(柴田義松訳、ヴィゴツキー、 1967年)し、「言語が知能的となり、思考が言語的となりはじめる」(同)。2歳頃になってはじめてことばは、思考の道具となるのである。ことばが行動調節の役割を担うのは、さらに遅くなってからである。子どもが自分の言語命令に自分の行動をしたがわせることができるようになるのは、4~4歳半頃だといわれている(松野豊訳、ルリヤ、 1976年)。以下の項では、これらの三つの機能のうち最も基本的なものであるコミュニケーション手段としてのことばに焦点をしばる。

 

 人と人とのあいだでことぱによるコミュニケーションが成り立つためには、「音声が相手に自分が目的とする特定の行動や意味をひきおこすための道具として意図的に使用されること、そして、その効果が保証されるためには、その音声の意味が自分にだけ通ずるのではなく、自分にとっても他人にとっても同一の意味をさし示すことが必要である」(岡本夏木、 1982年)。前者は「意図的道具性」、後者は「協約性」と呼ばれている。

 そこで、まず音声がコミュニケーションの意図的な道具になる過程をみてみよう。出生後しばらくは叫声(crying)以外の発声はない。産声は、呼吸運動に伴う自動的な現象であるが、その後、乳児は空腹や痛みなど不快を感じた時に叫声を発する。しかし、生後1ヵ月ともなると叫声以外の発声、すなわち非叫声がみられるようになる。これは、乳児が快適な状態にある時に、呼気に伴って出てくる偶然的な音であるが、後の言語の音声素材となる。まず母音の〔a〕がみられ、その後まもなく破裂音が加わる。この非叫声は、非叫声からなる一連の音声のパターン、すなわち喃語へと成長する。

 一方、生後まもなく新生児が満ち足りた浅い睡眠状態のとき、時々ほほの筋肉を自動的に収縮させるのが認められる。これは「自発的・反射的微笑」(黒田実郎・大羽蘂・岡田洋子訳、ボウルビー、 1978年)と呼ばれるものであり、生後2~3週ぐらいまで続く。1ヵ月頃になると人の声や顔が微笑反応をひきおこすようになる(「無選択な社会的微笑」)(同)。2ヵ月過ぎになると、見慣れた養育者や家族の顔は、より親しみのある微笑反応をひきおこすようになる(「選択的な社会的微笑」)(『司』。

 発声にしても微笑にしても初めは生理的であったものが、養育者の過剰解釈(たとえば、「うれしくて笑っている」といった思いこみ)に基づく乳児への働きかけ(応答)により社会的な意味づけが与えられる。

 こうして4ヵ月頃になると、叫声や笑いなどの情動的行動は、乳児の要求を養育者に伝える手段となる。6ヵ月頃には、見慣れたおとなにたいして喃語で呼びかけたり、声がけにたいし、喃語で応じたりするようになる。9ヵ月頃には、単純な音声で呼びかけたり、簡単なことばを聞き分けるようになる(たとえば、「ばいぱい」にたいして手をふる)。 動作も、コミュニケーションの手段となる。すなわち、8~9ヵ月頃になると指さしが出現し、9~10ヵ月頃には、それは要求表現や質問にたいする応答の手段となる(山田洋子・中西由里、 1983年)。

 11ヵ月頃になると、少数の特定の音声が特定の状況や対象との関連性を強め、そこに音声は意味を担いはじめる。この過程においても、養育者の過剰解釈が重要な役割を担う。そして、1歳半頃には概念を背景とすることばによるコミュニケーションが成立する。

 なお、新生児期には成熟したチンパンジーのものに似ていた発声器官は、生後6ヵ月頃から変化しはじめ、2歳頃には成人とほぼ同じ状態になる。10ヵ月頃からはじまるおとなの音声の模倣と発声器官の成熟・発達とがあいまって、子どもは母国語の音韻を獲得するのである。

 次に、ことばを媒介としたコミュニケーションが成り立つためには、話し手と聞き手のあいだでことばの意味が共有されなければならない(「協約性」)が、その基盤も乳児期に求められる。

 あたかも大人の動作を模倣しているかのような現象が、生後まもない乳児においてみられる。これは、乳児期の後半に出現する意図的な模倣と区別して共鳴動作(co-action)と呼ばれており、3~4ヵ月でその頻度がピークに達する(桜井葉子・伊藤典子、 1975年)猪野範子、 1983年)。これは、早くも生後39。5時間で出現するという研究報告(水谷宗行ほか、 1979年)もなされている。

 この共鳴動作は、乳児と養育者とが快情動を共有し、一体化した状態で出現するといわれている。

 2ヵ月過ぎに出現する「選択的な社会的微笑」(「3ヵ月微笑」)も、乳児と養育者の情動の共有である。

 このような情動の共有は、「協約性」の基であると同時に、乳児の他人にたいする信頼感や愛情を支える基盤ともなる。

 情動の共有は、その後、目の共有(目と目を見合わせる-3ヵ月頃)、視線の共有(乳児が相手の視線を追う)、対象の共有(相手の指さした対象を見る)へと発展し、音声の意味の共有を準備する。

 このように、乳児期後半になると、コミュニケーションの意図的道具としての指さしを媒介として、子どもと養育者とのあいだで対象が共有される。こうした子ども一物一人、三者の関係は、特に「三項関係」(山田洋子、 1978年)と呼ばれている。

 「三項関係」にもいくつかのタイプがある。そのなかで、10ヵ月頃からみられる欲しいものを手に入れるために、おとなを意図的に利用する行為(たとえば、欲しいものに手をのばし、おとなをふりかえってみる)や、おとなの注意をひく手段として、事物や指さしや身ぶりなどを意図的に利用する行為(たとえば、ある物を指さしたり提示したりする)は、発話行為の原型として重視されている。 Batesらは、前者を「原命令」(proto-imperative)、後者を「原叙述」(proto-declarative)と呼び、これらと、文法構造との機能的関連を考えている(Bates E。、 Camaioni L。、 & Volterra V。 The acquisition of performatives prior tospeech。 Merrill一Palmer Quarterly; 1975、 21(3)、 2〔〕5-226)。

 これまで、文法構造獲得の前提条件として、生得的な言語獲得装置(LAD)が仮定されることが一般的であったが、 Brunerも、文法獲得の基盤を前言語期に求めた。彼は、特に子どもとおとなとの共同動作(joint action)、すなわち、乳児の指示動作の発現に呼応して、子どもとおとなのあいだで展開する事物や情報、動作などの相互的なやりとり行動を、このこととの関連で重視している(大山正博・畑山みさ子訳、ブルーナー&カートン、 1978年)。

 さきに、音声がコミュニケーションの意図的道具になるまでの過程、すなわち音声の記号化過程をみた。このような音声の記号化は象徴機能の成立を意味する。象徴機能とは、一言でいえば、能記(意味するもの)によって所記(意味されるもの)を表象する働きである。 Piagetによれば、能記は、所記との分化の度合によって、標式(インデックス)、象徴(シンボル)、サインに分けられる。象徴機能の成立とは、このような象徴やサイン(たとえば、ことば)などの記号の操作が可能になることなのである。