遺伝子治療と人間のかかわり

 

 危惧すべきなのは、日本の医学界の遺伝子治療の技術の先走り、技術主義である。遺伝子治療を推進する医師、研究者たちはそのことに熱心なあまり、技術水準のこと以外は眼中になく、その技術を使うにあだっての受け皿の整備にまでは気がまわっていないようだ。これでは、CDを普及させるのに、ハードのCDプレーヤー作りにばかり目を奪われて、肝心のCDソフトがまったくないのと同じである。昔から日本は「医学水準は一流でも、病院の施設、環境は三流」といわれてきたが、これが相変らず改善されていない。

 

 端的にいうと、ベクターの開発、その安全性のチェックが甚だ遅れていることだ。本来ならこの二つがなければ遺伝子治療の臨床応用など到底できないにもかかわらず、これがほとんど行われてこなかった。最近になって半官半民の「ディナペック研究所」という研究所などが作られ、ようやく動き出しているが、規模的には小さい。ただこれはまだ技術の範疇に入る問題である。

 

 ソフト面はもっと遅れている。遺伝子治療を実施していくには、患者へのケア、遺伝子カウンセリング、遺伝子や遺伝の知識の普及、前述のイソフォームド・Jソセソトなどの受け皿が不可欠であるのに、こうしたものにいたってはほとんど整備されていない。たとえば遺伝子治療を受ける重症患者は病気そのものへの不安、新しい医療への不安は避けられない。それを取り除いてあげることも重要な医療であるのだが、残念ながら医師にも病院にもそうした認識すら欠如しているのが現状である。末期ガン患者への告知問題も重要だが、実はそれだけではまだ不十分で、告知した患者をケアするホスピス医療を確立するところまでいってこそ真のケアといえる。ここまでの認識が不足しているのである。

 

 三菱化学生命科学研究所の米本昌平氏は、著書『先端医療革命』の中で臓器移植に対して、「アメリカ並みに臓器移植をというのであれば、アメリカ並みの品質管理体制を整えよ」と述べているが、そのいい方を借りれば、「アメリカ並みの遺伝子治療をというのであれば、アメリカ並みの品質管理体制、支援体制を整えよ」ということになる。

 

 なぜ医師や研究者がこうしたソフト面に不熱心なのかというと、ひとつには彼らは苛烈な競争から医療の技術面ばかりを追い求め、その持つ意味あい、影響を考えようとせず、また社会や政治の動きに鈍感な傾向があるからといえる。ことに遺伝子治療の中心となっている若い医師や研究者にはこの傾向が強いように思う。

 

 これは、医学が専門細分化され、高度な医療技術や(イテク医療機器が次から次に出現してくると、それを追いかけるのに精いっぱいで、考える余裕がなくなり、専門以外のことに無関心にならざるを得ないところに原因がある。そのため、医療の原点を見失ないがちで、患者を一個の人間として、心も含めたトータルな人間として次第に見られなくなってきている。さらにはその一個の人間も他の人間との関係、つまり社会のなかで生きており、その社会全体から人間を見るという視点も欠落しがちとなっている。

 

 もうひとっには、医師、研究者には、考え方、論理構成が単純な人が多く、そのうえ物事をできるだけ単純化して考えようとする性癖があって、医療技術と人間との関わりという側面がすっぽり頭から抜げ落ちてしまいがちになっている問題もある。

 

 ノンフィクション作家の柳田邦男氏も『最新医学の現場』でこう指摘している。

 

 「医学とりわけ臨床医学というのは、患者を忘れては成立し得ない。ところが、医学が専門別に細分化され、医療機器が大々的に取り入れられるようになるにっれ、ややもすると医師は検査データだけを見て、患者を、生活を営む全体像でとらえなくなる傾向が強くなりかねない。医療が。部品修理業”と化し、病む人間を癒すことの大事さを忘れてしまう危険がある」 医師の命題である「治す」医療、つまり患者を治すことばかりに汲々となっていることにも問題があると思う。「治す」医療の最たるものは、ベッドのうえで患者を多くの管でつなぐスパゲッティー状態におく濃厚医療である。患者と家族間の交流もなく、延々と命だけを機械的に延ばしていくのにはたして意味があるかという批判が出ているのはもっともなことだ。逸見氏の手術もまさにこの典型であったと思う。あそこまでやる意味があったかとまではいわないが、もう少し穏和な医療を採っていれば、また別の違った人生を生きられたのにと思うと、残念でならない。

 

 北海道大学名誉教授の小林博氏は『がんの治療』の中でこう述べている。

 

 「ここで気になるのは、大仕掛けな遺伝子治療をうける末期がん患者は本当に幸せなのだろうかということである。かりに治療による肉体的苦痛があっても、また治療スケジュールが過酷であっても、がんが本当に治ればよいのだが、末期がん患者の生命の延長が統計的に有意に見られるというだけで、はたして満足できるのだろうか」

 

 もちろん、患者を治すことは重要なのだが、何のために治すのか、誰のために治すのかという視点を忘れてはほんとうの医療といえないのではないか。患者のための医療というなら、そうした「治す」医療からもうそろそろ脱皮して、「ケアする」医療、末期の患者なら最後の人生を有意義に送れるように手助けする医療を広めていくときではなかろうか。

 

『ガン遺伝子治療』深見輝明著より