遺伝子修復

 

 ガンの遺伝子研究は、恐ろしいばかりの進展を見せている。そこでわかったことは、ガンは遺伝子に異常が起こった病気だということはもう何度も述べてきた。

 

 遺伝子の異常が原因なら、その異常遺伝子を修復して正常な遺伝子にしてやることがガンの根本的な治療になり、そしてそのような遺伝子部品の修理にターゲットをおいた臨床研究がすでにアメリカではじまっていることはすでに述べたが、日本でもそうした遺伝子治療の研究に取り組んでいる研究者がいる。

 

 東京・築地にある国立がんセンター研究所がん転移研究室の吉田輝彦室長だ。

 

 国のガン対策の中心機関であるこの病院は、昭和三七年に設立されて以来、ガンとの闘いの重要な橋頭堡となってきた。

 

 慶応義塾大学医学部を昭和五八年に卒業した吉田氏は、二年間母校の血液内科で臨床経験をした後、このがんセンターに移り、リサーチレジデントとして研究の第一歩を踏み出した。ちょうど人間のガン細胞からガン遺伝子が発見され、世界中が″ガン遺伝子フィルターの渦に巻き込まれたときだった。吉田氏もその影響を大いに受げたという。以来、ガンの遺伝子、ガンが起こるメカニズムの研究に精を出してきたが、やがてその矛先は遺伝子治療に向かうことになっIた。

 

 「遺伝子治療の研究をやる以上、早期ガンでは意味がない。やはり治療法のない難治ガンを対象にしないと……」と考えた吉田室長は、そのなかから難治ガン中の難治ガンである膵臓ガンを選んだ。

 

 膵臓ガンはガンによる死亡原因の第五位にランクされ、なおも増加中だ。ガンの治療成績は、一般的に五年生存率のパーセソテージでみるが、このガンはとてもそれでははじき出せない。ようやく三年生存率が一〇パーセント以下という低治癒率である。

 

 原因は、なんといっても早期発見が困難だからだ。MRIなどの最新画像診断装置を駆使して見つけられる大きさは一~ニセソチが限界だが、それで見つかってもすでに転移を起こしていることが多い。また進行も早い。手術も、ガンの手術でもっとも難しいといわれる。アナウンサーの逸見政孝氏の最後の手術をした″神の手”といわれる東京女子医科大学の羽生富士夫教授はこの膵臓ガンの手術が専門である。また膵臓ガンは抗ガン剤も放射線もほとんど効かない。要するに治療法がないのだ。

 

 この膵臓ガンを異常遺伝子を直して治療するには、どの遺伝子にアタックしてやれば治るのかその治療戦略から研究していかなくてはならない。

 

 ガンという病気になるプロセスをもう一度思い起こしてほしい。たった一個の遺伝子に異変が起こったくらいではガンにはならず、複数の遺伝子の異変が集積してようやくガンになるというのが、最近の学説だ。もちろん膵臓ガンが起こるメカニズムはまだわからないけれども、遺伝子の異常はたくさん見つかっている。ガン遺伝子のKラス遺伝子、ミック遺伝子、ガン抑制遺伝子のピー53遺伝子、ピー16遺伝子など、五、六個見つかっているが、問題はその異常がガン化の原因なのか結果な のかという点である。

 

 そのことを考えるヒソトのひとつは、Kラス遺伝子に異常が起こったのが膵臓ガンの八~九割で発見されているという事実である。一種類のガンでこんなに高頻度に遺伝子異常が見られるのはほかに例がない。もうひとつは、膵臓ガンは良性のおできのようなものができることからはじまると考えられているが、実はすでにその段階でKラス遺伝子の異常が見つかっていることだ。吉田室長は、この二つの事実から、Kラス遺伝子が膵臓ガンの原因になっている可能性が高いと判断した。

 

 これでターゲットは決まった。次はこの異常Kラス遺伝子を正常化する方法だが、実をいうとまだそこまでの技術はない。ただ、遺伝子を修復しなくても、その遺伝子の働きを断てばいいわけで、その方法として吉田室長はメッセンジャーRNAに着目した。

 

 遺伝子は、タンパク質を作り出すことによって、ある働きをする。その際、ストレートにタンパク質を作るのではなく、一時的にコピーを作ってからタンパク質を作るが、そのコピー役がメッセンジャーRNAである。したがって、タンパク質ができないようにするにはこのコピー機能を不能にしてやればいいということになるが、それにはメッセンジャーRNAにアンチセンスというパッチをペタソと貼って封じ込んでやればいいのである。